ユーもんの日和見

「みなと」でガーンとなったスピッツファンです。

沈みます。

youtu.be

たまにはスピッツ以外の曲を。

実は昔、特に10代のころは女性ボーカルしか耳に受け付けませんでした。
好きなアーティスト遍歴
中島美嘉YUI絢香宇多田ヒカル
という感じで。

躁鬱の鬱で(軽い)なんか気分変えたくてただただ浸れる音楽求めて久々のガネクロ。(声もビジュアルもやっぱり好き)
少し落ち着いた。
その後、結局関連動画でスピッツに移行。笑
ライブ版「たまご」にしびれ、「日向の窓にあこがれて」に泣いた。
やっぱり特別で、この耳はスピッツの音を聴くためにあるのだとさえ思った(笑)
結局恋い焦がれてるやないか!笑
残り少ない今年の目標は、繰り返す躁鬱とさよならし、人がましく生きる精神的礎を築くことです。
未だ人として最低ラインにも立ててない私、今日も地球の足を引っ張ってごめんなさい。
近所も遠くも愛しく♪
近くにいてくれる大事な人、遠くても大事な人、好きでいられるように強い自分になりたい。

よし、明日は~いつもの~ぼくさ~♪(カントリーロード?)

未来コオロギ

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おみやげでいただきました♪

もったいないので撮影だけしてまた蓋してしまいました。(笑)

 

 

チョコレートと言えば!

”チョコレートはいかがでしょう”

の「未来コオロギ」です!

「未来コオロギ」は、全曲大好きなスピッツの中でも特別大好き、別格の一曲です!

草野さんは過去インタビューのなかで「死に対する恐怖」について、よっぽど強力な宗教でも得ない限り変わらない(克服できない)んではないか、というようなことを言われてました。

私はこの曲を聴いたとき、その強力なものを手にした気がしたんです。

スピッツに恋い焦がれる気持ちが最近少しは落ち着き、今や信仰の対象です?(笑)

ネガの街

今日はぎりぎりの三日月だったけど、暗い部分も丸くくっきり見えました。

 

いつものスーパーでの店内アナウンス、

「街じゅうにクリスマスソングが流れ、年末の慌しさが・・・(ナンチャラカンチャラ)」

っていうのを聞いていて、街じゅうってどこやろと思った。

私の狭ーい行動範囲の中ではクリスマスソング流れるって、まぁスーパーぐらいのもんです(笑)

 

スピッツの曲でも「ランプ」の”街にあふれる歌 誰かを探してる”とか「グリーン」の”コピペで作られた 流行りの愛の歌”とかを聴いていると都会視点だなーと、個人的には思います。

田舎に住んで、テレビもほとんど見なくなったので、そういうものであふれてる街って今の私にはあんまりリアルではないです。

最近はむしろ「君と暮らせたら」の”寂しいあの街”っていう幻想のほうがリアルに感じる...(それはちょっとヤバイか)

 

ここのところ、「田舎の生活」を聴きながら、この歌詞の世界のような情景を心に持ちながら都会で生活するってどういうことなんだろう...と考えたりしています。

”ネガの街”という言葉が出てきますが、田舎=ポジとして、明暗が反転するがごとくいろんな物事・価値が反転した都会=ネガの街と設定しているんでしょうか。

この、田舎に心を寄せながら都会に暮らす、というのは「ランプ」にも繋がります。

というか、「田舎の生活」制作時から一貫してこういう視点を持ち続けていることに驚きます。

なかなか考えをまとめられないのですが、書きたいことはまだまだあるのでまたちゃんと書きます。

いよいよ寒くなってきました!

季節の変わり目に体調崩す、とか、寒くて風邪ひく、とかありがちすぎてつまらん!

そして私はそんなつまらん迷惑な奴です。

風邪は治っても空咳だけがしつこく続く、というのが最近のパターンです。

そういえば私は気管支が少し弱かったのだ。

これで、今年一年間のうち二か月間はゲホゲホ言って過ごしていることになります。

 

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写真はストックの花。

私はこういう色が好きだったんでした。

忘れてた。

紫のストックの花言葉「おおらかな愛情」ですって。

昔からお花ってあっても気付かないというか視界に入らなくて、花屋のぞいたりする♪ような奴ではないのですが、たまには。(実は頼まれて買ったものですが)

ちなみに私的「恋のはじまり」は、同じ本を読む!です。

頭の中のぞきたい!

一年が過ぎ...

最近、スピッツカテゴリーに入れるようなブログ記事が少なくなってきたなぁ。

色んなストーリーを膨らませてみたり、幅広い解釈で聴いているつもりではいるんですが、いざ書こうとするとどの曲のことを書いても何だか一辺倒な感じになってしまって。

下書きばかりが溜まる日々です。

 

日々のスピッツライフも、この一年間ほぼ日課のようになっている今晩の一枚選び(もちろんスピッツのアルバムの中から)が決まらず途方に暮れ、枕元に何枚ものアルバムをお守りのようにただ積み上げて眠る日が多くなってきました。(え!CDで聴いてんの!と言われそうですが...というか実際言われたりしましたが)

そんな煮え切らない時のおたすけアイテムがCYCLE HITだったりするんですが。

正直そんな聴かないだろうなーと思ってたシングル集、思いの外聴いてます。

(三枚のうちどの年代聴くか決められない時もありますが)

古い年代の曲はオリジナル版で聴くのとだいぶ印象が違う気がするなぁ。

まぁそんな違いを聴く耳も持たないんですが。

 

 

人生を味わうためにスピッツを聴いているのか、スピッツを味わうために人生を生きているのか。

少なくとも”今”は後者の思いが強いかもしれません。

根源的な動機を思い出させてくれたから。

しかしそれは演繹的な人生を生きなければならないことを意味する、と気づいてやや愕然としました。

アプローチが逆だったかも。

ラーメン雑感

草野さんの日記に反応してラーメンの話をします!

ワンテンポ以上遅れてますがいつものことです。

ちなみに最近Twitterアカウント作りました(笑)

どんだけ遅いねん。まだ使ってないし。

つねに、うしろから遅れて僕が行く♪

そんな感じなんで、ブログタイトル「ユーもんの日和見」というのも、自嘲を込めて付けたものです。

(まぁ適当に付けたんで思い入れもありませんが)

ついでにユーもんという名前は、本名をもじったものを付けようとしたら既に使われており、他ユーザーとかぶらないように色々変えていった結果です。

結局本名と程遠くなりました。

 

と、話は戻り、ラーメン。

ラーメンは、自分でラーメンスープ作ってみたことがあるくらい好きです(笑)

(しかしスープ作りで力尽き、麺は乾燥パスタという詰めの甘さ、残念)

富山といえば、富山ブラック

ですが、私が出会った富山人の何人かは「富山の人は食べない」「富山県民があのラーメンを好んで食べてると思われるのは心外」というようなことを言ってました(^^;

人によるとは思いますけどね。

私は旅のもん(よそからきた人)なので、たまーに食べます。

元祖富山ブラックで有名な大喜。

まだ富山に住んでなかった昔、小さい頃にも食べたことがあって、あの塩辛さに衝撃を受けた覚えがあります。

が、大人になってから食べたら昔ほどの衝撃はなく、味変わった?と思っていたら、創業者の方は既に引退(廃業?)しており、別会社に買われて経営がかわり、同じ大喜の看板を掲げていても直系のお弟子さんの店とそうじゃない店が混在しているようです。

詳しくは知りませんが。


ところで、ラーメンは基本的には一人で食べるものだと思っているので、ラーメン屋に行くのもだいたい一人なんですが。

一人だとちょっと都合が悪いこともあります。

 昔はよく兄と一緒に食べに行ってたからよかったんです。

兄と行くと何がいいって、「大ライス2つ!」って、まとめて注文してくれるのがいいんです。笑

大ライスって、ラーメン大盛とごはんね。

炭水化物の組み合わせ。

ちなみに関西人でも意見別れますが、お好み焼きは白ご飯のおかずですよ。

そう、それで、一人で行くと何が不都合って、一人だとラーメン大盛、もしくはラーメンライスならギリ頼めるけど、大ライスは頼めないの!笑

この話に共感してもらえたことはないですが。(そもそもそんなに食べられないというのが大方の反応)

誰かわかってくれませんかね?笑

あと、おひとり様に優しいように思われるラーメン屋での苦い経験がいくつかあるんですけど…笑

一番は、若いカップルのテーブルに相席で通されかけたことです(笑)

カウンター空いてるのに!おじさんとおじさんの間の席が!

四人テーブルに若いカップルとおひとり様の私。

あなたなら耐えられますか?

その状況でラーメンすすれますか?

私は無理だと思ったので、おじさんの間の席に通してもらえるよう必死でお願いしました。

店員さん「え、カウンターでよろしいんですか?」みたいな反応してたけど、その感覚わたしには謎ですわ…

一人もんはカウンター通してくださいよ、と思った(笑)

まあ確かにそこのカウンター席、だいぶ狭くて、友達でもこの距離感なかなか無いなってくらいの接近戦でしたけど。笑

おじさんは迷惑してたかもね、相席しとけよって(笑)


そんなことがあってもめげずに、たまにはラーメン屋行くくらいには今でもラーメン好きですが、ここ数年はラーメン食べると翌日までもたれるようになったこともあり、昔ほどの執着はなくなりました。

昔は前日食べたものがお腹に残ってるなんて想像もしなかったけどなぁ。


しかし考えてみると、特定の食べ物に対する執着心というもの自体が年々薄れてきた気がします。

美味しいものを(たくさん)食べたいという欲はまだまだありますが。

どういうことかというと、例えば、美味しいうどんと普通のラーメンがあったとする。

昔ならたぶん、普通のラーメンを選んでたと思うんです。ラーメンへの執着心が強かったから。

今なら迷わず美味しいうどんを選ぶ!

そういう感じです。


結局なんの話かというと、草野さんラーメン一杯食べきれるのかなぁ?と思う、って話でした!(え?)

かなしいような気持ち。(なんにもないけど)

宇宙の真理に近づくための術(科学とか芸術とか、はたまた並外れた身体能力とか?)を何も持たない私は生きる意味を半分は失くしてしまったような気がします。
それでも残り半分の意味を求めて薄っぺらになった人生を明日こそ明日こそと続けてゆきます。


体温を奪われるような悲しみを感じたくて、最近はオーロラになれなかった人のためにをよく聴きます。
悲しいような気持ちは私の中では一番純に近い感情である気がするので大事にしたいです。
(悲しすぎるとダメだし、自分のことばっかだと純どころか逆にドロドロだからダメ)
他人を思って悲しくなるのが今の私の最上です。