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ユーもんの日和見

「みなと」でガーンとなったスピッツファンです。

色気考察その1

スピッツ

スピッツにハマって半年弱。

未聴のアルバムも残りわずかとなってまいりました。

そうなってくると初聴という経験が以前より貴重になってくるので、なんとなく身構えてしまって新しい(私にとって)アルバムになかなか手が出せません。

早くコンプリートしたい気持ちと楽しみを取っておきたい気持ちとのせめぎ合い・・・。

 

週のど真ん中ですが、宿題にしていた色気考察に(日本酒の勢いをかりて)取り組みたい。

前提として肉体とその人そのものは別もの、と考えます。

(その人そのものを魂と言ってもいいですが、なんか大げさな響きなので不適切かと)

その前提の上で、肉体とその人そのものとの密着度が高まった時に色気が放出されるのではないでしょうか。

肉体を通してその人そのものを垣間見たとき、色気を感じるということです。

クセ、なんかはその最たるものだと思います。

また、シワ、白髪、なども色気を醸すパーツになり得ます。

その人が肉体を長く使ってきた結果生じる現象だからです。

 

んー、マサムネさんが常の人とは比べもんにならんほど多量の色気を放つ理由には全く迫れそうにありません。。

それにやっぱり先天的に備わった条件も重要な要素だったりもしますよねぇ。

(長くてきれいな首、とか影を落とすくらい長いまつ毛、とか)

やっぱりわからんわ、また宿題です。

 

表面的なことだけ言うと、猫背、だったり、目の下のクマ、だったりはポイントな気がしますー。

辰巳先生

最近のキーワード、「生活」に関連して一つ思い出したので。

 

かねてより気にはなっていた辰巳浜子、芳子両先生。

辰巳芳子先生のスープの本をブックオフで見かけたことで興味が高まり、辰巳浜子著、辰巳芳子編「暮らしの向付」を図書館で借りて読んでみることに。

しかし編者である辰巳芳子先生による前書きを読んだ段階でその崇高さにクラクラとめまいを覚え、それ以上読み進めることを断念。

まさに生活を極めた人が行き着く境地をたった数ページで垣間見た感じ。

とてもじゃないけど今の私には踏み込めない領域でした。

ひとまずこれは自分の宿題として頭の片隅にメモしておいて、土井善晴先生著作あたりから攻めてみようかしらん。

 

それにしても、どんなことでも極めると「この世に生きた意味を越えて」いくんですねぇ。(なんか無理やりですかね?)

いろいろと

スピッツ

最近の星野源熱の総仕上げ、また、草野さん推奨・浮気計画の一環として、星野源ファーストアルバム「ばかのうた」を聴きました。レンタルで。

浮気については、今年行われた醒めない振替公演にて草野さんより「途中浮気してもらってかまわない」的な発言があったとのこと。

それを真に受けてというか、従順にというか。色々聴いてみようと思ったわけです。

(まあ実際は時間があればスピッツ聴きたい!のであまり実行に移せていませんが)

しかし本命の地歩を築いていない身としては浮気というかただの移り気、節操なし認定かもですね。

そういえば以前スピッツにハマる前にプチハマりしていた某ロックバンドがありました。

その合間に箸休め的なつもりでスピッツを聴いたとき、ストレスフリーで調和された演奏に素人ながら「上手い・・・ほんとのプロの演奏ってこういうもんなんかなー」と思った記憶があります。(演奏の巧拙を語れるような耳も知識もないんですが)

そのときはスピッツどハマりには至りませんでしたが、それを境に某ロックバンドへのプチハマりは収束していったのでした。

そういうこともあったので、ほかの人の曲を聴くことでより新鮮に、より深く、スピッツを(ありがたみを持って)聴けるかも、というスピッツ回帰ありきでのこの計画です。

 

と、「ばかのうた」の感想をちょろっと。

実は、聴こう!とレンタルしてからあっという間に一週間経ってしまい、返却日になってやっと聴きました。

それも時間がなかったので一回流し聴きしただけ。

エッセイ読んだときは、「創作地獄から生み出された作品、心して向き合わせてもらうっす!」って思ってたのにごめんなさい。。

生活が苦手という割に、というかその裏返しなのか、ものすごく生活臭のするアルバムでした。

やっぱり人は自分にないものを求めるものなのでしょうか。

星野源に関しては、ほんと共感できる部分が多いです。

なーんかね、エッセイ読んでても曲聴いてても、「この偏屈野郎!」と言ってやりたくなる感じなんです(笑)。

この「好意的に」罵りたくなる衝動、なんなんですかね(笑)。

良いアルバムでした。

個人的には満たされた日曜の夕方に聴きたい感じかな。

もし満たされてなくっても寄り添ってくれる感じです。

 

でもスピッツのように高いところに連れてってはくれないんだよね。

今の私にはやっぱりスピッツ!みたいです。

それ言いたいだけ、ていうか最初からそれが目的っていう。なんか感じ悪いかも?すみません・・・。

青い車♪と渚♪

スピッツ

前記事でスピッツに関して最新作が最高傑作、と書きましたが、聴く曲聴く曲どれも最高傑作と言いたくなってしまう名曲ぞろいのスピッツ

もはや何が最高傑作とかいうこと自体がナンセンスだったかも、と思い直しています。

 

といいつつ、そんな数ある最高傑作のなかに確実に含めたい一曲が「青い車」。

これ、多重構造のものすごい曲だと思います

一聴すると爽やかなアップチューンだけど実は無理心中の曲、というのが割と定評のある解釈。

(その解釈が正しいかどうかを確認する術はありませんが、それもアリだとは思う)

これが昔は怖かった、ほんとに。(私がこの解釈を支持しているという意味ではありません。正直わかりません。)

でもそのストーリーの奥にこの世(あの世も含めて?)の真理が隠されているんですよね。

さらに、あくまで曲調は爽やか疾走系、なのに官能的でもあるという。

ほんとにもう、鬼才・草野マサムネには何が見えているのか・・・。

畏れを抱くほどです。

 

私の中では「渚」もこのラインの曲。

音の爽やかさとは裏腹にかなり重厚感のある曲だと思ってるので、軽くは聴けない曲なんです。

だけどCMで爽やか映像とともにぶった切られて乱発されてたりするのを見ると、また全然印象違いますね。

自分の中の曲のイメージとパブリックイメージとのギャップに面食らいますが、それでも成立しまくりな世界観にやっぱりスゴイ、スピッツ!です。

それはそれで良いもんね!

 

そういえば「青い車で8823ナンバー」ってのがスピッツファンの一つのステータスのようですね。

私は車は運転しないので蚊帳の外ですが、「青い車で8823ナンバー」でスピッツファンってわかるのはスピッツファンだけだよね。

そこがイイ!押しつけがましくない感じで。

正しく年を重ねる

スピッツ

昨日はちょっと久しぶりでアルバム「醒めない」を聴きました。

やっぱ常に最新作が最高傑作なのかも・・・と改めて思ったり。

正しく年を取ると人はあんなにも素敵になるんですね。

声質の経年変化も素敵。

声変わらないってよく言われてるけど、結構変わってるように思います。

ファーストアルバム「スピッツ」を初めて聴いたとき、甘ったるい声で気の抜けたような歌い方だったからちょっとびっくりした。

母性くすぐりまくり。

これ聴いてるとフニャフニャっと力抜けちゃって眠気を催すのは私だけでしょうか・・・。(だいたい途中で寝ちゃいます)

 

声質は変わっても30年衰えを知らない歌声。

ボイトレは受けたことないらしいので、天性の感覚なんでしょうね。

どんな内容なのかボイトレ一度受けてみたい、というようなことを言われてましたが必要ないでしょう!

草野さん以上に「力を抜いて」歌うことができてる人ってなかなかいないと思います。

もちろん完全に脱力して歌は歌えませんが、力を入れること(緊張)より抜くこと(緩和)のほうが難しい。

だから抜くほうを強調して「脱力系」シンガーと言われたりするわけです。

歌っている表情を見ているとよくわかりますが、表情筋は基本脱力して下に大きく口を開けて歌っているように見えますが、口角は上向きにキュッと引き締まっています。

このバランスが本当に素晴らしいと思います。

見た目にも美しい。

その発声の正しさは、30年壊れずにむしろ輝きを増して響き続ける歌声が証明しています!

生活はつづく

以前、星野源著「蘇える変態」についてちょろっと書きました。

あの後一気に読み切りそのまま続けて「そして生活はつづく」を読み、今現在「働く男」を読んでいます。

(「ユーミンの罪」、司馬小説と並行中)

いやぁ、ハマっちまいました、「文筆家」星野源

めっちゃ面白いです。

普通に笑えるという意味でも、何度も声出して笑っちゃったくらい。

そして個人的には共感ポイント満載。

なんていうか、いわゆる「普通」からずっと脱落してきた人なんだな、って感じ。

それも今や芸の肥やし、飯の種にしてるんでしょうが、飄々と生きてこられたタイプでは全くなさそう。

ドライに笑いにしちゃってますが、相当キツい思いをしてきたんではないかと。

まあまあ自意識は強そうな感じですが、それも面白く、これからの星野源の「自分なくし」に要注目です!(「自分なくし」というワードに引っかかった人はぜひ読んでみてください)

それにしても目に見えて進化していく人を見るのって胸がすく思い。

 

具体的な共感ポイントをいくつか。

これ、私もおんなじこと日記に書いてたよー。

辛い物食べちゃうのもいっしょ。

身体の調子がおかしくなるくらい辛くしちゃうんだよなー。

外に向かっちゃうかもしれない暴力性をなるべく自分の中で処理してたのね。。

  • 生活が苦手。

私も・・・。

でも星野源みたいに特殊な職業ならいざ知らず、普通の人にとっては生活することが人生の大半。

だからそこに意味を見出せないとキツイ。

私は実際キツくなってくると「かもめ食堂」とかそういう系の、特に何も起こらない「生活」が描かれている映画とかドラマを見てます。

その中でも一時期ハマったのが小津安二郎作品。

人生とは生活することなんだわ!と感動とともに腑に落ちた気がしたのでした。

しかしその気分も「東京暮色」を見るまで。

この「東京暮色」で描かれている生活、確かに人生そのものだしリアルなんだけど、あまりに陰気。また寄る辺を失ってしまった感じ。

小津さん、なんでこういう映画を作ったんだろう。

あくまでなまぬるく陰鬱な出来事が「日常」と「非日常」の狭間で起きてくけど、過ぎて振り返ってみるとやっぱりそれは「日常」でしかない、という。

「日常」であるからこそ、この映画の陰気なにおいが体中に染みこんでしまって私自身の現実の日常に染み出してしまうほど。

救いはどこにあるのかしら。

それで小津作品をはなれて最近見たものでは「パンとスープと猫日和」がほっこりで良かった。

見ると丁寧な生活がしたくなるから、気持ちが荒んだときにおすすめ。

ただこれはやっぱり期限付きの効能で、対症療法みたいなもん。

小津作品のほうが本質的な気はしてる。

まだ私の理解が追いついてない「東京暮色」、時間をおいてまた向き合ってみなきゃ。

 

まだあったと思うけど小津作品の話で長くなったのでこのへんにしときます。

あと、病気したときの話は、ありのままでありつつもドライに書かれてますが、あまりに凄絶で、想像を放棄、ハートの機能停止・・・で読んでしまいました。

時間をおかずにあれだけの経験を文章にできることは本当にすごいと思います。

これからも文筆活動メインで星野源、追っていきたいと思います。

 

おまけ。

草野さんは過剰な自意識とも無縁、生活も得意そう。

なんせ「足にもなる メシも作る」し、ほんとは(歌詞とは逆に)「やること忘れ」られないご性分。

浮世離れしたようにも見えて、めっちゃ地に足ついてもいる。

やっぱり崇拝レベルで好きです。

表現と受容

スピッツ

昨日から今日にかけて、アクセス数が跳ね上がってたのでちょっと驚きました。

スピッツファンの皆さんがチケット当落発表後の動向調査されてたんでしょうか。

このブログには何の情報もなく、申し訳なかったです。

 

最近の脱線に次ぐ脱線。

今は酒井順子著「ユーミンの罪」を読んでます。

最後までちゃんと読んでから書けよと自分のことながら思うのですが、なんだろ、食事しながらその味をあーだこーだ言いたいのと同じ感覚ですかね。

食事がすべて終わってしまった後では「美味しかった」の一言で事足りる感じになってしまうのですよ。

 

話は戻りまして、ユーミン

世代じゃないというのもあるけど、なんとなく聴かず嫌いしてた。

(毎年12月に流れまくる「恋人がサンタクロース」も苦手意識の一因と思われます)

でも「14番目の月」をスピッツカバー版で初めて聴いて、すごい良い!と思って。

「14番目の月が一番好き」ってすごい詩的・・・。

この詩的なサビと、その他の俗っぽさの絶妙な融合。

すごいバランス感覚ですねー。

知らないなりにユーミンには「才能の人」というイメージはあったけんだけど、やっぱり一聴の価値アリアリだわ、となったわけです。

ただ、なぜか染み付いてしまった苦手意識はなかなか払拭できないので、今回ちょっと違う角度から攻略しようとコレを読んでいます。

本来自分の耳で聴く前に第三者がアレコレ言ってるのを読むなんて邪道だと思うのですが。

まあ自分の耳だけでユーミンまで追う余裕は今ないしね。

なんせスピッツ30年分の歴史を追わなきゃなんで。

 

スピッツがカバーした「14番目の月」。結構初期のころの楽曲なんですね。

この曲のテーマは「女の勝手」なんだそう。

これを男性のスピッツが選曲してカバーすることで、確実に新しい意味が生まれてる!

「女の勝手」、意外と許容されるのかも、なんて。(勝手の上塗りか?)

とにかく、このカバーを聴いたときの「パズルのピースがはまった感じ」の要因がわかった。

カバー曲ってのはこうあってほしいものですね!

この「14番目の月」収録の『おるたな』、スピッツの懐の深さを感じる大好きなアルバムです。