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ユーもんの日和見

「みなと」でガーンとなったスピッツファンです。

ビックリした・・・

スピッツ

オンテレ、アップされてましたね。

内容は書けないから結局何も書けないんだけど、いつもと違う演出になんかドキドキだったわ。。

まさかとは思いつつ、変な覚悟してもうたよ(笑)

・・・やっぱ意味不明な記事になってしまった。

醒めない、映像化!!

スピッツ

なんか、前情報あったっぽいけど。

私には全くの不意打ち!!

今年のスピッツのスピード感すごくないか!?

ティザー映像解禁、出先で知って、吸った息が吐けなくなってしまった。

ライブ参加されたファンの方のレポを読ませてもらってずっと想像してた醒めないライブが、90秒とはいえこの目で見られる!

帰り道を歩きながら感慨にふけってたら危うく泣きそうになった・・・我ながら情緒、、、情緒がおかしい(笑)。

不審者にならんよう何とか飲み込んで(笑)、帰って早速見たよー!

相変わらず圧巻の演奏、歌声。

ホールちっちゃく見えちゃった。やっぱあのサイズの会場でやるってのもすごい良いなあ。

草野さんツアー終盤はちょっと髪の毛伸びすぎの感があったけど、映像ではスッキリ。

個人的にはあのくらい耳はちゃんと見えてるほうが可愛いと思う。

 

最近まで、感情の起伏をできるだけ少なく生きようと思ってた。

上がると反動で必ず下がる。それがしんどいから。

その振れ幅を少なく。

まあ心がけるまでもなく年々感情は動かなくなる。心が鈍くなる。

・・・だけどやっぱまだまだ揺れてしまうみたいだ、私!

久々弾んでる♪

良い事かどうかわからんけど、鉛のように重く沈んでた心が軽くなったのは確か!

鈍い痛みも消え去ったっぽい。

www.youtube.com

芽吹く。

スピッツ

3月9日です。

毎年3月9日にはレミオロメンの「3月9日」を聴かなきゃいけないような気がするようになったのはいつからだろ。

この曲には高校の卒業式で歌うことになって前日にCDレンタルして頑張って覚えた思い出が。(結局卒業式には参加しなかったけど)

 

前記事で書いた、ミステリーハンター竹内海南江さんのエッセイについて。

内容の前に気になったことが一つ。

読点が、めっちゃ、多い。

頭の中で小学校の国語授業的な音読が始まってしまう(笑)。

作家さんではないから文章の巧さは求めてないし、むしろちゃんと自分で書いてるんやなぁって感じだけど、出版される前に何人もの人の目を通ってるはずなのに誰も指摘せんかったんかい、と思ってしまった(笑)

でも難しいよね。読点。

草野さんもいつかの日記で読点について触れてたと思う。

明確なルールはないんだって言ってたかな?(違ったらスミマセン)

確かに学校で習った覚えないかも。(私だけ?)

私も文章力の無さ故の意味不明瞭さを補おうと、やたら読点を打ってしまう癖があるので気持ちはわかる。

しかも自分で読み直せば読み直すほど何が正解かわからんくなってくるんよね。

まあ読み進めるうちに不要な読点は無意識に省けるようになっちゃうんだから、些細だけど私の適応力も捨てたもんじゃないわ。(笑)

んで、やっと内容の話。

海南江さん、あんだけ過酷なロケ(移動自体が超過酷)こなし続けてるんだからよっぽど強靭な身体の持ち主なんだろうと思ってたけど、強靭なのは精神なんだわ。

あの気負ってない肚の据わり方はどっからくるもんなんだ?

人間、肚さえ据わってりゃ大概のことはどうにかなるもんだよなぁ。

肚を据える。これ、テーマです。

あとはトイレの話が興味深かった。(このエッセイ半分くらいトイレの話だったんじゃないか?)

排泄っていうのは生命活動の基本だから、これがままならないってのは辛いなぁ。

排泄についての受け止め方というか受け入れ方というか・・・これによってその人の「生物力」がわかると思う。

確か芥川龍之介の「侏儒の言葉」のなかに、排泄することに精神的苦痛を感じるというような内容の一節があったと思う。(私の理解ではそうだったけど、だいぶ前に読んだので間違ってるかも?)

あれだけ知性が砥がれた人でも食べて排泄しなきゃ生きていけないわけで、そのことに嫌悪感や虚しさを感じてしまうのかもしれないけど。

そうなるとやっぱり生きていけなくなってしまうよなぁ。

 

嫌悪感といえば、草野さんの曲作りのテーマである「死とセックス」。

私にとってこの両者はずっと嫌悪の対象でしかなかったけど、やっぱりこれも受け入れなければ生きていけないもの。というか始まりから終わり、生死そのもの。

ずっと拒み続けてきたものをこんな素晴らしい形で受け取り、受け入れられる日か来るとは。

大げさじゃなく世界の見え方が変わった。

私も「みなと」を聴いてやっとわかったんだけど、スピッツはえげつないことを歌ってるように見えても、絶対に厭世には逃げない!

だからスピッツ信仰しちゃったとしても安心して大丈夫だよ(笑)たぶん。

 

結局スピッツの話につなげてしまって他の話が長い前置きのようになってしまった(笑)

ついでに。

海南江さんってスピッツの曲に出てくる女の子像(草野さんの理想像?)に近くない?

強そうだし適度に振り回してくれそうだし包容力もありそう。

そんでもって一筋縄じゃ行かない感じ。

男なら女神的に崇めたくなっちゃうかも?

 

まとめ。今年からのテーマは「肚据えて、女こそ海のような包容力!」(ジュディオングじゃないよ)

んー、落ちない(笑)。

春なの?

留学先から一時帰国中だった姉が今朝再び旅立って行きました。

そしてやってきたのは・・・花粉!

花粉症の季節ですよ。。。

今日は朝から鼻ぐすぐす、目しょぼしょぼ、耳も遠く、頭の中に雲がかかっているよう。

春の訪れを感じるには嬉しくない現象だなと思っていたら午後から雪。

わけわからんなぁ。

 

今日は読みかけの司馬作品をひとまず横に置いて、姉の置き土産の本たちに手を伸ばす。

手始めに姉の好きな竹内海南江さんのエッセイ「あっというまに」。

年齢不詳でバイタリティーに溢れた海南江さんは51歳になっていたらしい!

こういう人を見ると、年齢の持つ意味を考え直しちゃうなぁ。

私は、自分の中に全世界が内包されていると信じたいようなヤツなので、自分の足で地の果てまで旅して見て触れて・・・というような願望は希薄。

好奇心の向かう方向が違うんだと思うけど、時に観念論・抽象論に偏りすぎるアタマの針をを具体的な世界に振らせることも必要。

この本はそういうバランサーとして今の私にちょうど良く降ってきた感じですなぁ。

お姉ちゃん、絶妙。

ついでにお姉ちゃん、意識しているのかしていないのか、憧れの海南江さんに年々似てきてる。

見た目の雰囲気とか。

好きな人に似る、そういうことってあるよね。

 

よし、スピッツ聴いて寝る♪

とりとめなく

スピッツ

いつかのライブMCで草野さんが『ロビンソン』の歌詞について話していたらしい。

「 自転車で 走る君を追いかけた」のか、「 自転車で走る君 を追いかけた」のか。

後者が正解だそう。

さすがに男が自転車に乗って、「走る君」を追いかけるのは怖すぎだって(笑)

でも自転車に乗ってる女の子を追いかけてる男の子・・・想像するとちょっと間抜け?(笑)

追いかけたっていっても例えば「目で」追いかけたのならキレイだけど、んー、イメージちがうかなぁ。

陸上部の部活で河原を走ってて、女の子はマネージャーで自転車に乗ってるとかは?

(ドラマとかでしか見たことないけど女子マネージャーは自転車に乗ってるイメージ)

 マサムネさん陸上部だったからそんな想像もしてみたけど、部活動と二人だけの国・・・かけ離れたイメージだな(笑)

そんな他愛ない想像も楽しいスピッツの曲!

続くのです!

スピッツ

「継続すること」の訓練として、出来るだけ毎日更新を目指してやってますが、これから一週間ほどは事情により更新が滞るかも。
でもやめたわけではないです!
今も書きたいことはいくつかあるけど、今日はスマホからの投稿なんでちょっとあっためとこ。

継続といえば、スピッツにハマってからスピッツ聴かなかった(聴けなかった)日って数えるほどしかないなー。
ハマってから1ヶ月くらいはスピッツなしでは1日も乗り切る自信なかったけど(笑)、今は脳内再生という技も身につけて数日くらいならなんとかやっていけそう?(笑)
とにかく、感動→解釈→感動の無限ループに入っております!
…ループっていうと発展性がない感じがするか。 
良い言葉ないかな?

フォーカス

ここ半年程での視力低下が気になる。

もともと視力だけはずっと良くて両目ともに1.5以上だったから、目が悪い人の「見えにくい」世界っていうのが想像つかなかった。

実際視力検査したわけじゃないからどんだけ視力低下してるかわからんけど(たぶんそんな大したことないとは思う)、「見えにくい」ってこういうことなのねってのがちょっとだけわかった。

前は「見る」という行為が無意識的にできてたのが、ある程度の意志を持って意識的に焦点を合わせるという作業が必要になった。

自分の身体に都合の悪い部分ができると、肉体と自分自身(と自分が思っているもの)との間に距離ができるね。

年々、肉体が自分そのものではないんだという実感が大きくなってくるよ。

でもそれでかえって借り物の身体にも愛着が湧いてきたりもするんだけどね。

 

もうひとつ思うこと。

視力低下が気になりだしたときは、「このままどんどん低下していったらどうしよう」と思ったけど、今のところ「前よりちょっと見えにくい」くらいで落ち着いてます。

この程度なら矯正器具も必要なく過ごせる。

で、ふと気づいたんだけど、視力1.5以上だったときは周りの人が平気で見てるスマホ画面やパソコン画面が眩しすぎて見れなかったのに最近はそれほどでもない。

慢性的な目の疲れはあるけど前のような酷い疲れ・痛みを感じることもなくなった。

これってある意味ブルーライトに曝される過酷な環境に適応するための苦肉の視力低下だったのか・・・?

 

今はこんなもんで済んでるからまだいいけど、ブルーライトは目にも体にもすごく悪いらしいので、この先心配ですね・・・。

難しいことはわからんけど、実感として「悪い」って思うし。

とはいえこんだけ溢れてたら避けたくても避けようがない。

どうにかならんかな?