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ユーもんの日和見

「みなと」でガーンとなったスピッツファンです。

芽吹く。

3月9日です。

毎年3月9日にはレミオロメンの「3月9日」を聴かなきゃいけないような気がするようになったのはいつからだろ。

この曲には高校の卒業式で歌うことになって前日にCDレンタルして頑張って覚えた思い出が。(結局卒業式には参加しなかったけど)

 

前記事で書いた、ミステリーハンター竹内海南江さんのエッセイについて。

内容の前に気になったことが一つ。

読点が、めっちゃ、多い。

頭の中で小学校の国語授業的な音読が始まってしまう(笑)。

作家さんではないから文章の巧さは求めてないし、むしろちゃんと自分で書いてるんやなぁって感じだけど、出版される前に何人もの人の目を通ってるはずなのに誰も指摘せんかったんかい、と思ってしまった(笑)

でも難しいよね。読点。

草野さんもいつかの日記で読点について触れてたと思う。

明確なルールはないんだって言ってたかな?(違ったらスミマセン)

確かに学校で習った覚えないかも。(私だけ?)

私も文章力の無さ故の意味不明瞭さを補おうと、やたら読点を打ってしまう癖があるので気持ちはわかる。

しかも自分で読み直せば読み直すほど何が正解かわからんくなってくるんよね。

まあ読み進めるうちに不要な読点は無意識に省けるようになっちゃうんだから、些細だけど私の適応力も捨てたもんじゃないわ。(笑)

んで、やっと内容の話。

海南江さん、あんだけ過酷なロケ(移動自体が超過酷)こなし続けてるんだからよっぽど強靭な身体の持ち主なんだろうと思ってたけど、強靭なのは精神なんだわ。

あの気負ってない肚の据わり方はどっからくるもんなんだ?

人間、肚さえ据わってりゃ大概のことはどうにかなるもんだよなぁ。

肚を据える。これ、テーマです。

あとはトイレの話が興味深かった。(このエッセイ半分くらいトイレの話だったんじゃないか?)

排泄っていうのは生命活動の基本だから、これがままならないってのは辛いなぁ。

排泄についての受け止め方というか受け入れ方というか・・・これによってその人の「生物力」がわかると思う。

確か芥川龍之介の「侏儒の言葉」のなかに、排泄することに精神的苦痛を感じるというような内容の一節があったと思う。(私の理解ではそうだったけど、だいぶ前に読んだので間違ってるかも?)

あれだけ知性が砥がれた人でも食べて排泄しなきゃ生きていけないわけで、そのことに嫌悪感や虚しさを感じてしまうのかもしれないけど。

そうなるとやっぱり生きていけなくなってしまうよなぁ。

 

嫌悪感といえば、草野さんの曲作りのテーマである「死とセックス」。

私にとってこの両者はずっと嫌悪の対象でしかなかったけど、やっぱりこれも受け入れなければ生きていけないもの。というか始まりから終わり、生死そのもの。

ずっと拒み続けてきたものをこんな素晴らしい形で受け取り、受け入れられる日か来るとは。

大げさじゃなく世界の見え方が変わった。

私も「みなと」を聴いてやっとわかったんだけど、スピッツはえげつないことを歌ってるように見えても、絶対に厭世には逃げない!

だからスピッツ信仰しちゃったとしても安心して大丈夫だよ(笑)たぶん。

 

結局スピッツの話につなげてしまって他の話が長い前置きのようになってしまった(笑)

ついでに。

海南江さんってスピッツの曲に出てくる女の子像(草野さんの理想像?)に近くない?

強そうだし適度に振り回してくれそうだし包容力もありそう。

そんでもって一筋縄じゃ行かない感じ。

男なら女神的に崇めたくなっちゃうかも?

 

まとめ。今年からのテーマは「肚据えて、女こそ海のような包容力!」(ジュディオングじゃないよ)

んー、落ちない(笑)。