ユーもんの日和見

「みなと」でガーンとなったスピッツファンです。

そういうことにして生きていける~♪

水野敬也著「スパルタ婚活塾」、衝動的に読んでしまいました。

めっちゃ面白かったです。

かなーり納得性のある内容だったんですが、これ、男性の一般的な考えと捉えて良いんでしょうか。誰かに聞いて確かめたい...(笑)

本編はコメディタッチで書かれているんですが、あとがきは少し真面目にご本人の体験を吐露されてました。

醜形恐怖・・・私にも少し覚えがあります。

向かいから人が歩いてくるとうつむいてしまい顔を上げられなかった10代。

今では思い出しても痛みも苦みも感じないほどどうでもいい事になってますが、それなりに不毛な日々を過ごしていた気がします。

 

その関連で、というわけではないんですが、『僕はきっと旅に出る』の「指の汚れが落ちなくて 長いこと水で洗ったり」というフレーズ。

これは強迫神経症っぽいですね。

これもね、覚えが・・・というかこっちは結構本格的に苦しみました。

だからこの歌詞を聴いたときは胸にジリジリと迫って来ましたよ。

もちろんこれ聴いて草野さんが強迫神経症だとは思ってないです。それはないでしょう。

感じたことは、草野さんはたぶん他人の苦しみまで引き受けてしまってるんだろうなぁということ。

かたや私は自分の身勝手で苦しんで周囲まで巻き込んでいた。

そのことを思い返してほんとに恥ずかしくなりました。

私の場合、醜形恐怖強迫神経症も根は同じだったことが自分でわかって、もうあの日々には戻らない、という確信が今は持てています。

最近思うことは、色んなことを悩めるというのも、まだ先が長いと思っているからなんだ、ということ。

小さい頃は悩みもなく楽しかったというのは大人になってから作り上げた思い込み。

それこそ十代前半くらいまでは、永遠に続くかのような終わりの見えない自分の人生の行く先に暗澹たる思いだった、その気分を今でも覚えています。

でも、歳を重ねるにつれ、色々な「終わり」を経験する。

私にとって「終わり」は恐怖であると同時に救いでもありました。

自分の人生にもやっぱり「終わり」がちゃんとあるんだと。

それを実感できることで今、生を受けていることの特別さに感謝も湧いてくる。

仮住まいのこの世の些末なことを取り上げて悩み続ける不毛さを知ることもできる。

物事は表裏ですね。

スピッツの曲に出てくる永遠性も死と表裏の関係にある気がします。(「永遠」というワード自体はたぶんそんなに出てこないと思いますが)

いま思いつくのは『不死身のビーナス』、別離によって彼女は彼にとって不死身の存在になったのでしょう。

『スワン』も「あの日のまま ずっと同じ消えないもう二度と」というのはもう悲しいほど明確な別離の表現だと思います。

スピッツの表現する死が瑞々しい(間違っても湿っぽくはない)のはその裏に永遠があるから、というかもうほぼ同義と言ってもいいような気がする。

これは厭世でもなければ逃避でもなく、誰にとっても共通の「生」を真剣に取り扱っているのです。

 

昼の汚れを夜の闇が過去へと押し流してくれることに感謝しつつ、やっぱり「小さな生き物」を聴いて寝ます。

(なんかめっちゃ暗い人っぽいブログだけど、私暗くないつもり!笑)

来週はものすごく楽しみなことがあります♪