ユーもんの日和見

「みなと」でガーンとなったスピッツファンです。

さざなみからとげまるへ。

唐突ですが、私、リアルタイムで「とげまる」を聴いてたら、草野さん結婚するんだ...と思ってたと思うんですよ。

なんか、「さざなみCD」で芽生えたもの...というか再燃?したものが「とげまる」で結実しているように感じたんですよね、最初聴いたときは。

回数重ねて聴いてるうちに、なんでそう感じたのか、揺らいできましたが。笑

「聞かせてよ」の「ありふれた愛の歌 歌い始める」というフレーズのせいかもしれない。

あ、でも、この「ありふれた愛の歌」は私の中では「つぐみ」なんですが、「つぐみ」はメンバー愛の歌だと思ってます。

そう思っているというか、違うかもだけど、そうだと決めつけて聴いてるというのか。

(それだと結婚に結びつかないですね。なんでそう思ったんだろ?)

 

今、私が「とげまる」に感じるのは、健全さ。

無論、健全にはあやしい意味も含まれてます(笑)

「幻のドラゴン」とか笑っちゃうくらい可愛らしく露骨。

はい。それも健全。

あと、終わらないでという願い。「花の写真」とか、「どんどどん」とか。

これって健全だなって。

前にも書いたんですが、私は終わりは救いだと思っていて。

それは間違いなくそうだと今のところ思っているんですが、この考えは厭世とか虚無感に振れやすい。

どっちにしろ終わりは来るんだし、それは果敢に受け入れつつも終わらないといいなぁと思えるのってすごく健全。

「いつかは終わりが来ることも 認めたくないけどわかってる」

その健気さに私は鼻がツンとくる!

 

そういえば昨日、「さざなみCD」聴いてちょっとびっくりしたんですけど。

先述したように、「さざなみCD」では、再会したり再燃したりで何かが芽生えていると思ってました。

そして「飛ぶ」は幽体離脱して飛んで行っちゃう感じじゃなく、肉体持った上での「飛ぶ」。

(ということは端的に言うと性的な意味が強くなると思うんですが笑)

生きていることに慣れたというのか、地に足がついたイメージ。

だから歌詞に出てくる「君」にも、いつも以上に実体もった手応えを感じるんです。

なのに!

最後の曲、「砂漠の花」。

「思い出を抱いて ひとり歩いていける まためぐり会う時まで」

えーーー!

ひとりなの??

まためぐり会えたんじゃなかったの???

私的には大どんでん返しでした。

ていうか私、聴いてるつもりで全然聴けてなかったんだなぁ。

 

 

スピッツはずっと続いているから、こんなふうにアルバムを続き物の物語のように聴きたくなってしまうのですが、「とげまる」と「小さな生き物」の間には大きな隔たりがあります。

時代が変わってしまったから。

私は遡って聴いているので、リアルタイムで聴いた人とは感じ方が違うと思う。

「小さな生き物」から聴くと、すごく遠いことに感じたんです。「とげまる」の世界が。

でもそれは陳腐化とは全く違う。

今は遠く手の届かないところに行ってしまったけど、また巡ってくる、戻っていくための標にできるような作品。

...意味わかんないですね。

 

とにかく聴くたびにいろんな発見がある!(全くとんちんかんかもしれないけど)

 

オチは「僕のギター」より、作り話もあるよ♪ということで。

肝に銘じます。