ユーもんの日和見

「みなと」でガーンとなったスピッツファンです。

「恋は夕暮れ」の精神世界

「恋」というのは肉体と不可分の概念なのでしょうか?

 

「恋は夕暮れ」には、恋というものの上澄み、精神作用だけを蒸留して取り出したかのような美しさがあります。

草野さんは過去のインタビュー(スピッツ本掲載)にて、

 

性的快楽も肉体的なものだけじゃなくて、精神的なものって幻想だと割り切れない部分とかもわかってきて。

 

という発言をされてます。

この曲は、ここでいう「精神的なもの」の比重が大きい気がするのです。

具体的には歌詞のなかで、

武器を捨てて僕はここにいる

という部分が一応の根拠です。

 私はスピッツの歌詞における「武器」というのはだいたい性的な意味合いを含んでいると考えています。(ナイフ然り、ピストル然り...他なんかあるかな?)

それは生を受けているものにとって、死に対しうる唯一の武器が性であるからです。

そして、そもそも「死」という概念は肉体的なものです。

人間の実体が魂であり、生から死、死から生へと輪廻を繰り返しているとすれば、魂の次元においては死というものは存在しないからです。

このことから、「武器を捨てて僕はここにいる」というのは、生死というような肉体的な次元を超えた精神世界の話をしている、という意味だと考えます。

そういうわけで、この曲は私にとっては、恋というものが、ひいては人間の本質が、肉体を超えたところにも存在することを思い起こさせてくれるものなのです。

年を重ねるにつれ忘却の彼方へと自ら追いやってしまった魂の喜びを思い出させてくれるような...

美しすぎる白昼夢...?でも幻想ではないんですよね...?

 

 

スピッツの曲はいつも、「死とセックス」すなわち生死の輪廻、そして肉体とは別の実体としての魂の存在を教えてくれます。

スピッツの曲が死を色濃く感じさせるからといって、決して生を軽視しているわけではないのです。

むしろ肉体という経験(生)を通して魂の次元に到達する術を授けてくれているように感じます。

それが、モグラであり、鳥であるスピッツなのだと思うのです。

泥まみれの肉体と浮遊する魂が混ざり合っている世界。

「空の飛び方」はまさにその両極がおそろしいほどのバランスで両立しているアルバムだと思います!

驚異!